洗剤のCMに隠れた虚像(と、希望)
こんにちは。
ただいま育休を取得中、アラサー会社員の枝豆もろこしです。
ベビーベッドにはすやすや眠る、枝豆のような顔した我がムスコ。
ああ、愛しい。
さて、産休までがむしゃらに働いてきた(視野の狭い)会社員♀にとって、
突然のお休み(って言っても21時までは息子の下女だけど)って、
もしかしたら人生最初で最後のロングバケーション
なんですよね。で、つらつら考え始めるわけです。
なぜ男性の育休取得率はずっと低いままなのか?とか、
復帰後も女性が時短を取ったり、送り迎えを負担するのが普通だと考えられているのはなぜなのか?とか、
家事育児への期待度が女性>>>>男性であることが当たり前なのは、なぜなのか?とか。
もちろん戦後、サラリーマン夫+専業主婦妻のペアリングが最も効率的な日本の働き方として普及したと同時にマスメディアが発達したため、たった20年ほどの成功事例がスタンダードと捉えられるようになった、とか、社会制度の問題、とか、いろいろ原因は考えつくわけですが。。。
メディア・広告に関わる仕事をしてきた人間として、
今のメディアや広告にも責任の一端があるのではないかと思うわけです。
普段何の気なしに見ているテレビやネットからにじみ出る、
「女性はそこそこ働きつつ家事育児に重点を置くのがふつうである」という虚像の擦り込みは、実は大きな影響を及ぼすのでは?と。
で、ニッポンで日々生産されていく表現(主に広告)に隠れた、
「性的役割分担の虚像たち」を取り上げてみることにしました。
第一回目は、「洗濯洗剤に隠れた虚像たち」。
まずは、これです。
とても明るくて楽しくて、ステキなCM。第一印象は、私も好きなんです。
これもね。洗濯をする側の人たちの悩みを的確にとらえている、と思う。
全体のトーンも明るく楽しく、いい感じ。
これもね。洗剤ではないけれど。
・・・・でも・・・・
どれも、ごく当たり前に「洗濯や消臭は母親の仕事」と主張している。
「お母さんこそが洗濯の責任者である」という隠れたメッセージ。(隠れてないか)
※オトコ臭という表現が男性差別である、という主張もあるようですね。
これ、もやもやします。
各メーカーにしてみれば、
「今の購買層は女性がほとんどである。男性はいても少数派。
ここはリアルな女性の悩みを描き、男性をちょっとワルモノにして溜飲を下げよう」
というところであるかと思います。
マーケティングという観点では、非常に的確であるし通用するものだと思う。
でもこれで洗剤が売れたとしても、同時に
「洗濯消臭は女性の仕事、男性はやってもらう側」という虚像
を広めていることにならないか?息子を持つ身としては真剣に考えてしまう。
一方、こちらは・・イギリスのアリエールのCMですね。
TV、2013年のようですね。公式で出ているものではないので定かではないが。
これも、「ママが渡してくれた洗剤」と言ってますね。
こちらも超メジャーな洗剤、TideのCM。うーむ、これは革新的!
「ボクはDad momだ」「だから娘のフリフリお洋服だって完璧に洗えるよ!」
「Dad mom」と言うことで、家事能力がDad<Momであることを示唆してしまっていますが、これはひとまず家事育児を男性も負担するよね、それってクールだよね、という
過渡期のメッセージとしては一歩進んでいるのでは。
他にもたくさん集めたいのだけど、外国のCMってなかなか入手するのが難しいのよね。
このTideのCMにはかすかな希望を感じます。
ちなみにイギリスのAdvertising Standards Authorityは最近、
性的役割分担を押し付けるような広告を今後規制することを発表しました。
ASAの報告書には、「広告でのジェンダーの押しつけは、危険や攻撃性をはらんでいて、特に子供や若い人たちに重大な影響を及ぼす可能性がある」とあります。※上記事より
これは非常に重い、これから避けて通れない課題であると思う。
現場のマーケティング担当者、事業の責任者、広告代理店、マスメディア、ネットメディア、すべての関係者にとって、様々なジレンマを生む課題。
みんな、目の前の売上を伸ばさないといけないんですから。
そのためには、今の(つまり少し前の価値観を反映した)構図を描くのが手っ取り早いんです。
でもあえて、新しい、より良いメッセージを発信してほしい。
だって、媒体は何にせよ、目につくことが広告の役割であり、メッセージを伝えてしまうものなのだから。
次の時代を担う子供たちにも、自然に擦り込まれていくのです。
それって、恐ろしいこと。同時に、素晴らしい考えを伝えるチャンスでもある。
単純な解決策は見えないけど、こつこつ、ちゃんと考えていきたい。
そう思う夏の夜なのでした。